それは遠い夢


まだ辺りは薄暗く、空が仄かに白みつつある朝、体に染み付いた習慣とでも言うのだろうか、いつものように自然と目を覚ました。
昨夜は、任務もなく久方ぶりに自室の布団で眠ることができた。
布団で寝た為か目覚めたばかりの体も軽い。
布団をたたみ、あげてから、寝間着から着物へと着替える。
そしていつものように、音を立てずに廊下へ出て井戸へと向かった。
さすがにこの時間に起きている隊士もおらず、屯所内は静寂に包まれていた。

水を汲み上げ、その冷たい水で顔を洗う。
パシャッ―――
もう卯月を迎えて幾日か過ぎたが朝晩はまだ少し冷える。
持ってきた手拭いで洗った顔を拭う。
冷たい水で顔を洗ったおかげで頭がすっきりし、すっかり目も覚めた。

今朝は、自分が食事当番だ。まだ少し早いがたまにはゆっくり用意するのもいいだろう。
そう思い、厨へと足を向けた。

今朝の献立を何にするか、とりあえず材料は何があるか確認しようとしたとき、戸口に人の立つ気配を感じ振り返った。
こんな朝早くに起きているのは自分か、徹夜をしていたとすれば副長、または朝早くから一人鍛錬を行う斎藤さんくらいだが、
振り返り見た視線の先には、自分の考えたのとは違う人物が立っていた。
俺がいきなり振り返ったことに驚いたのか、その人物は大きな瞳を更に大きく、丸くしている。
「雪村君か。おはよう、君は早いのだな。」
そう言えば、彼女も朝早くからよく働いていたことを思い出す。
任務を終え早朝に戻って来たときに屯所内で最初に見かけるのはいつも彼女だった。
「あっ、おはようございます、山崎さん。声をかけようと思ったら急に振り返られたので吃驚しました。
山崎さんこそお早いですね。」
驚いていた表情から一変してふわりと微笑みながら彼女が言った。
その微笑みにどこか心が温かくなる。
その心地良さを甘受し、つい笑顔に見惚れてしまっていたがはっと意識を戻し彼女に答える。
「それは驚かせてすまなかった。俺はいつも朝はこのくらいから起きている。君の方こそ、こんな朝早くに厨へ来てどうかしたのか?」
先程、見惚れてしまっていたことを誤魔化すように、平静を装って言った。
「朝餉の準備をお手伝いさせてもらおうと思って……。今朝の当番は山崎さんだったんですね!お手伝いさせてもらってもよろしいですか……?」
自分の方を伺うように彼女は尋ねてきた。
雪村君は日頃から自分に出来る仕事は進んでやっている。食事の準備についてもそうだ。
当番でなくとも進んで当番の者の手伝いをしているところをよく見かける。
男の作る飾り気のない食事と違い、彼女が手伝ったときの食事は一手間加えられていて、目にも美味しく、
味も申し分なくてとても皆からの評判が良い。
そんな彼女のありがたい申し出を断るはずもないので、「こちらこそ、お願いする。」と答えた。
自分の言葉に対して彼女は、少し驚いた顔をした後、なぜかとても嬉しそうに笑って、
「はいっ。」
っと元気よく返事をした。
戸口から厨内に入って来ながら彼女が疑問を口にする。
「今朝は、何を作るおつもりなんですか?」
「何を作るか材料を見て決めようと思った矢先に君が来たので、まだ考えていないんだ。」
苦笑しながら俺がそう答えると、彼女は笑って言う。
「じゃあ、わたしも一緒に考えさせてください。」

食材が何があるかを確認して、献立を考える。
「にしんの塩焼きとわかめの味噌汁……はできそうだな。」
「後は……、菜の花のお浸しと湿気てしまった海苔を火で炙って、味噌汁はお豆腐も入れましょう。
わたしが漬けた大根の漬物があるのでそれも出して……。そんな感じでどうでしょうか……?」
俺の言葉を引き継いで彼女が言った献立で全く問題ないと思った。
「いいのではないかと思う。」
俺が彼女にそう返すと、先程のように再び彼女は少し驚いたような顔をして目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
さすがに二度も同じことがあると、自分は何かおかしなことでも言っただろうかと不安になってくる。
けれど彼女が嬉しそうに笑いながら、「じゃあ、作りましょうか。」っと言ってくるので、
「そうだな。」っと相槌をうって朝餉の準備に取り掛かることにした。

粗方作り終わり、にしんを塩焼きにしていると、
「あっ…、っつー……。」
味噌汁を作っていた雪村君が微かに声を上げた。
「雪村君、どうかしたのか?」
そう声をかけて彼女の方へ近寄ると、僅かに右手の甲が赤くなっていた。
「火傷したのかっ!?」
「少しお鍋に手が触れてしまって。」
努めて明るく笑いながら彼女は言うけれど、放っておけば水膨れにもなるだろうという、ひどいものだった。
知らず知らずの内に眉間に皺が寄る。俺のその様子に彼女は、焦ったように言った。
「あっ、赤くなってはいますけど、全然大丈夫ですからっ!!」
俺に心配をかけまいとしている彼女の様子に、何故か怒りが込み上げる。
「本当に、大丈夫ですから……。」
再びそう言う彼女の腕を掴むと有無を言わさずに井戸のところまで連れて行き、水を汲み上げ、
彼女の火傷した手を水へそっと浸ける。
「っつー……。」
そっと浸けたけれど、やはり沁みたのだろう彼女はわずかに声を漏らした。
「火傷をしたなら早く冷やさなければならないことくらい蘭方医の娘なのだから、わかるだろう!!
それに君は女性だ。火傷の痕が残ったらどうするんだ!!」
思わず彼女をそう怒鳴りつけると、彼女は哀しそうに微笑んだ。そして、水に浸けさせるために掴んだままだった俺の手から
するりと手を抜き取ると、水から出して俺に見せた。
「わたしは鬼です。だからこの程度の火傷ならすぐに治るから大丈夫なんです。」
苦く笑いながら言う彼女の手には、先程の火傷は見当たらず、治りかけている火傷の痕があった。
彼女は、何ら普通の年頃の娘と変わらないので、忘れていた。
彼女が"鬼"と呼ばれる一族の末裔で、彼女がそのことをとても気にしていることに……。
それがわかっていても、俺は彼女が自分を軽んじている様子が嫌だと思った。
「……それでも、君は女性だ。いくら鬼の治癒力がすごいと言っても、怪我を負えば痛みはあるし、痕が残ることだってあるだろう?
鬼だからと言って、自分の身を軽んじることはやめてくれ……。」
彼女から目を逸らし俺が眉根を下げつつ、眉間に皺を寄せて苦しげにそう言うと、彼女は驚いたような表情を浮かべて、そして微笑んだ。
「心配してくれてありがとうございます。嬉しいです、こんなわたしでもそんな風に思ってくださって。」
彼女の微笑みは、心の底からのもののように見えたけれど、彼女の言い方に俺は引っかかりを感じた。
「……"こんなわたしでも"なんて言わないでいて欲しい。」
先程逸らしてしまった目を、彼女へと戻し、彼女の瞳を見て続ける。
「君は君以外の何者でもない。君が何であろうと、俺にとって君は普通の女性で、守るべき存在に他ならないんだ。」
俺がそう言いきると、彼女の頬がだんだんと赤く染まっていく。
いったいどうしたというのだろうかと思っていると、彼女が口を開いた。
「……守るべき存在って……あっ、ありがとうございます……。」
彼女の声は語尾に向かう程小さくなっていった。
なぜ彼女がここまで頬を赤く染め、このように声がだんだんと小さくなってしまっているのか、
自分が言った直後にこのようになったのだから、自分の言った事が原因なのだろう。
そう思い、自分が何を言ったのかを反芻してみる。

"君は君以外の何者でもない。君が何であろうと、俺にとって君は普通の女性で、守るべき存在に他ならないんだ。"

反芻してみて気付く、自分の言った言葉のすごさに……。自分の顔に熱が集まっていくのがわかる。
俺はきっと今、目の前にいる彼女のようにいや、それ以上に顔が真っ赤になっているだろう。
「あっ、いや、その……。新選組が君を守ると決めた以上、俺にとって君は守るべき存在であって……。」
俺がしどろもどろにそのように言うと、彼女は自分の胸の前で手をぶんぶんと振りながら慌てたように言う。
「土方さんの指示があってのことですよね。わっ、わかってます。」
「いや、そうじゃない、違うんだ!!」
彼女の言った"土方さんの指示"、その言葉を聞いて俺は無意識に否定の言葉を発していた。
自分の言った言葉に恥ずかしさが込み上げ、"新選組"がっと言ったが、それだけであのように言ったのではないと、自分でわかっていた。
だから、彼女の口から"土方さんの指示"っと言われたことで、思わず違うと否定しまったのだが、
自分の思いを正直に打ち明けるのは難しく、お互い顔を赤くしたままの状態で気まずい沈黙が続いた。

「お前ェ等、何やってんだそんなところで。」

気まずい沈黙を破ったのは、俺でも彼女でもなかった。
「あっ、土方さん!!おはようございます。」
「おはようございます、副長。」
沈黙を破ったのは、昨夜も徹夜で仕事をしていたのであろう副長だった。
「ああ、おはよう。山崎はいつもだが、千鶴、お前も早いな。」
少し意外そうに副長は言った。それに対して彼女は恥ずかしそうに笑いながら答える。
「今朝は、いつもより早く目が覚めてしまったので。」
彼女の返答に対して、「そうか。」と相槌をうった副長からこちらへ声がかかる。
「そういや、今朝の飯番は山崎だったよな?」
「はい、自分が当番ですが、どうかしましたか?」
副長に突然食事当番であることを確認された理由がわからず、問い返す。
「いや、何か焦げ臭い気がすんだが……「あっ!!」「っ!!」」
副長の言葉に俺と雪村君は、焦げ臭いものの正体がすぐに思い当る。
たしかに、副長の言うとおり何かが焦げているような臭いが漂っていた。なぜすぐに気付かなかったのだろうかという程の臭いだ。
「副長、火急の用ができましたので、失礼します。」
「わっ、わたしも失礼します、土方さん!!」
俺と雪村君は、副長へ断りを入れて急ぎ厨へ向かった。
怒涛の勢いで走り去っていく俺と彼女の姿を見送った副長は自分の考えていた通りだったかと、珍しく「ふっ」と笑うと呟いた。
「山崎にしちゃ、珍しい失敗したもんだな。」
常に何でもそつなくこなす山崎の珍しすぎる様子を嬉しく思い、鬼の副長は機嫌良くその場を後にした。


急ぎ厨に戻ってみれば、もうもうと煙が立ち上りそこには、黒焦げてしまったにしんの姿。
味噌汁もにしん程の惨状ではないが、少し吹き零れてしまっていた。
厨のその惨状にしばしの間、沈黙の時間が流れる。そして二人は同時にふきだした。

しばらくの間二人共笑い続けて、もう笑えないって程笑った頃に彼女と視線がぶつかった。
「ふふふっ、これじゃ食べられませんね。」
「そうだな、さすがにこれでは……、また作り直しだな。」
この後、二人でまた朝餉の用意を始めた。
味噌汁は幸い食材はまだあったので作り直したが、にしんは焦げた分を捨てると数が足りないので、
どうにか食べれそうな部分だけを切り出し、焦げた分は俺と申し訳なかったが彼女の分になった。
にしんは焦げていたけれど、彼女と一緒に作った朝餉は格別においしかった。


ふっと目を覚ますと、朝餉の用意をする音が聞こえてくる。
遠い昔には、全く辛いと思わなかった朝もつい最近までは辛いものだった。
だが、ここの水は綱道さんが変若水を薄めるのに使用していた水と同じくらい清浄であるらしく、俺の中の羅刹の血を少しずつだが薄めてくれ、
ここでの暮らしを始めてから、半年が経とうとしている今では、普通の人間と同じ暮らしができるまでになった。
夜寝て、朝起きるそんな当たり前の生活が再びできるようになり、発作が起こることもなくなった。
布団を片付け、寝間着から着物へと着替え、彼女が朝餉の用意のためいるであろう厨へ足を向ける。
昔の癖で音を立てずに厨へと行けば、彼女は小さな厨の中を忙しそうに動き回っていた。
その動きがあまりに可愛くて思わずクスリと笑えば、その声で彼女が振り返る。
「ひゃっ、烝さんっ!?」
笑い声に気が付いて振り返ったのかと思えば、この驚き方からするに、偶然こちらを向いただけであったようだ。
その可愛らしい驚き様に、またクスリと笑ってしまった。
「おはよう、千鶴。」
新選組の面々が見れば驚くだろうというくらい穏やかな微笑みを浮かべて挨拶すれば、千鶴も微笑んで
「おはようございます、烝さん」
と挨拶を返してくれる。
「俺も、手伝おう。」
そう言うと、彼女はここでの生活を始めたばかりの頃と同じように俺の身体を心配して、
「後、少しなので大丈夫ですから、烝さんはゆっくりしていてください。」
っと、手伝わせてくれない。
彼女が俺の身体を心配してくれているのがわかり嬉しいとも思うので、大人しく言うことを聞いて、部屋へ戻ろうとした。
「きゃっ、っつぅ――。」
彼女のその声に、急いで彼女の元へ駆け寄る。
「大丈夫かっ!?火傷したのかっ!?」
僅かに手の甲が赤くなっている。
「早く冷やさないと。」
そう言って、急ぎ溜めてある水の中に彼女の手を浸す。
「ごめんなさい、烝さん……。」
申し訳なさそうに謝る彼女に、ふっと今日見た夢を思い出す。
あれはまだ新選組が京にいた頃、彼女と二人で朝餉の準備をした遠い昔の日の出来事。
その時と同じように火傷した彼女だが、あの頃とは違うその様子にふっと微笑んでしまう。
俺が突然笑ったので、彼女は不思議そうに俺の顔を見る。
あの時と変わらず大きな瞳を丸くして、小首を傾げるその彼女の様子にまた、自然と顔が綻び、微笑んでしまう。
朝餉の用意が終わったら、なぜ俺が笑ったのか理由を話してあげよう。
久しぶりに新選組の思い出に浸るのもいいだろう。
辛い事も多くあったが、決してそんなことばかりではなかったのだから。

「久しぶりに夢を見たんだ……、遠い遠い昔のことを……。」


〜おまけ〜
「夢を見て思い出したのだが、あのとき千鶴はどうして驚いた顔をしてから嬉しそうに笑ったんだ?」
あのときだけに限らず、彼女と一緒に雑務をこなしたりしているとき、偶に彼女は、
俺の言葉に対して驚いたような表情を浮かべた後、すごく嬉しそうに笑うことが多々あった。
「知りたいですか……?」
どこか頬を赤く染めて恥ずかしそうに彼女が言う。
ずっと聞きそびれてきた事だ、教えてくれるのであれば聞きたい。
千鶴の問いかけに頷いて肯定の意を示すと、恥ずかしそうに口を開いた。
「……烝さんが。」
「俺が?」
「……偶に微笑んでくれることがあったんです。烝さん普段笑ってくれることなんてなかったのに、
ごく稀に優しい顔で微笑んで返事をしてくれることがあって……。」
たしかに昔は人前で笑うなんてことはなかった。任務に必要になれば、作り物の笑顔を顔に浮かべることはあったが、
普段の生活で笑うことはなかったはずだ。
「普段笑ってくださらなかったから、偶に見せてくれる笑顔に驚いてしまうんですけど、
でもとても優しい顔で笑ってくれるので、それがすごく嬉しくて……。」
決して笑うことのなかったと言える自分が、自分も気付かぬ内に千鶴にだけは笑いかけていた事実に驚く。
そう言えば、千鶴と雑務をこなしたりすることが増えてから、副長に言われたことがあった。
"随分柔らかい顔をするようになったじゃねぇか、山崎。"
あの時は何のことだかわからなかったが、今ならわかる。
千鶴という存在が今の俺を作ってくれたんだ。
今、俺がここにこうして生きて、幸せというものを感じることができているのも千鶴という存在のおかげだ。
自分が今どんな顔をしているかわかる。
胸が幸せでいっぱいなんだ、だから間違いなく俺は笑顔を浮かべている。
それは、千鶴ただ一人にだけ見せる笑顔。
「ありがとう、千鶴……。」
俺が突然そう言えば、頬を真っ赤に染めていた千鶴は少し驚いたように瞳を真ん丸にして、
けれどすぐにその顔は花が綻ぶような笑顔になる。
俺に幸せを教えてくれてありがとう。俺に幸せを与えてくれてありがとう。


○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o。○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o.。○o。○o.。○o.。 ○o.。
あゆむ様リクエストの烝さんSSですf(^^;
二人で一緒に朝食作りの様な…ってことで、二人に一緒に朝餉の用意をしてもらいました〜(ひねりがなくてすみませんm(__;)m
今回は"甘く"ってリクエストだったので甘く、甘く。。。っと自分に言い聞かせて書いていたのですが、
結果がこれです。。。orzあゆむ様、甘くなりきれてなくてスミマセン。。。(__;)
烝さんと千鶴が井戸のトコで二人で真っ赤になってるところ、土方さんが登場しましたが、
本当はあれ、沖田さんでいきたかったんです。。。
二人共何朝からいちゃついてるの?みたいな感じで登場させたかったんですよ。。。
でも、千鶴が怪我しても鬼だから早く治るんだって言うのがわかってないとあの流れに持っていけない!!
けれど、鬼ってみんなが知ってるってことは沖田さんもう労咳で弱ってたよね。。。orzっと泣く泣く土方さんにしたんです。。。orz
おまけについては、千鶴が何で一旦驚いて嬉しそうに笑うのかってとこを本文中に書きたかったものの、
書くチャンスがなかったので、余談的な扱いでおまけに書かせていただきました。
リクエストしてくださったあゆむ様のみ持ち帰り可です。いまいち甘さがないので申し訳ないですが、どうかもらってやって下さいm(__)m
ここまで読んでくださってありがとうございますm(__)m

 

 

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