桃源郷の月

 

 

 

八葉と龍神の神子の絆。

その影響で、永泉様、泰明殿、鷹通、イノリ、頼久…、皆、神子殿に心奪われたのだろうと思っていた。

天真と詩紋に関しては、神子殿と同じ時空からやってきて、付き合いが長いからわかる。

しかし、それ以外の八葉が、出逢って間もない娘に対して恋情を抱くなど普通では考えられない。

ましてや、あの堅物の鷹通、朴念仁の頼久、感情らしい感情を見せることのない泰明殿までそうとくるなら…。

そう思っていたんだがね、わたしは。

 


神子殿はわたしからすれば"桃源郷の月"、決して手の届かぬ

夢のまた夢のような存在だ。

純真無垢で汚れをまったく知らない少女。

神に愛でられし少女。

この世界であまりにも清らか過ぎる存在。

八葉と神子という関係がなければわたしが決して知り合うことのないような人間だ。

わたしのような男が傍にいてはならないと思わせる…。

以前、君にそう言ったら、君は笑ってこう言った。

「どうしてですか?わたしは友雅さんに傍にいて欲しいです。」

神子殿に恋心を抱く皆を見て、八葉と神子の絆のためだと思おうとしたのは、

皆がうらやましかったからだ…。

決して、自分が抱くことのない感情を抱く彼らが…。

そう思っていたのに、いつしかわたしは神子殿に焦がれて止まない一人の男になっていた。

あれはいつの話だったか、わたしと神子殿である恋人同士の逃避行の手助けをしたね。

京にいては決して結ばれることのない、結ばれることが許されない一組の男女の…。

あの二人が誰にもそのことを打ち明けることなく逃避行に踏み切っていたのであれば、

きっと二人は追っ手の手にかかり、

男は殺され、女も二度と日の目を見ることはできないことになっていただろう。

やさしい君は、彼らを見て協力してあげましょうよとわたしに言ってきたね。

追っての目を欺くために彼らのフリをして、恋人同士になりすまし駆け落ちをしようとしたね。

あの時、他人のために一生懸命になる君をまぶしく思ったよ。

この時すでにわたしは君に惹かれていたのだろう…。

わたしが鬼の呪詛のために君のこと、君がここにいたという記憶を失ってしまったとき、

君は八葉にかけられた呪詛を祓おうと鬼の首領の下へ、

記憶も八葉としての力も失った状態の頼久と隻眼の鬼と共に向かった。

記憶を失ってたわたしは、龍神の神子はなんと浅はかな娘だろうと、

龍神の神子と言えど所詮その程度のものなのかと思った。

きっと呪詛を祓うこともできず、鬼の下へ降ってしまうだろうとさえ思った。

それは、神子殿のことを忘れてしまっていたからこそ思ったこと。

記憶さえあれば、きっとわたしは呪詛を受ける前、愛しく思っていた君のことをそのように思わなかっただろう。

わたしに温かい気持ちを与えてくれた君のことを。

わたしのそのときの予想に反して君は呪詛を祓い、ぼろぼろになりながらもわたし達の元へ戻ってきた。

記憶の戻った八葉全員が心配する中、皆の顔を見て良かったっと笑顔のまま気を失ってしまった。

気を失った君をわたしが抱き上げて運ぼうとしたら、皆に睨まれたな。

弱く守ってあげなければならない存在と思っていた君は、

本当は儚いだけでなく、芯の強い存在だった。

あの時、わたしはもう一度君を恋しく思うようになった。

鬼の呪詛は祓われ、記憶は戻ったが、一度は呪詛を身に受けたため記憶の一部は失われてままだった。

失われてしまった記憶は、京の地に散らばってしまっていた。

その記憶を心のカケラと呼び、君は必死になって探してくれた。

どんな記憶でも、それは大切なものだからと…。

その姿にどんどん惹かれていった。

わたしは君に三度恋をした。

心のカケラも全て取り戻し、四神の加護を得てついに鬼との決着をつける時が来た。

想像を絶する戦いの中、世界を救うため君は龍神を、白き龍の神を呼び出した。

あのとき龍神のおかげで、世界は色を取り戻し世界が穏やかさを取り戻していくのに、

君が戻ってくる気配がなかった。

このまま君はわたしの元へ戻ってきてくれないのではないか、不安に胸が押しつぶされそうだった。

この左近衛府少将橘友雅ともあろう者が、体裁も何も考えられないくらいに不安になり、みっともなくも君の名前をひたすら叫び続けることしかできなかった。

君はわたしの元へ戻ってきてくれた。

あの時わたしは何があろうとも、二度と君の手を離すまいと誓ったよ。

 


「友雅さん?眠ってるんですか?」

愛しい君がわたしに問いかけた。わたしは瞳を瞑ったままでそれに答えた。

「いいや、起きているよ神子殿。」

暖かな日を感じていたら、心地よい風が吹いてきた。

「良い天気ですね。友雅さん、何を考えてるんですか?」

「わたしの考えることはいつも、神子殿、君の事だけだよ。」

ゆっくりと瞼を持ち上げると、わたしの顔を覗き込む神子殿と視線を絡ませた。

そうしたら、君はちょっと拗ねたような表情をしてこう言った。

「もうっ友雅さん!いい加減"神子殿"はやめてください。

わたしはもう龍神の神子ではないし、友雅さんも八葉じゃないです!!」

 


君を失うかと思ったあの最後の戦いの後、わたしは元の時空へと戻るという君と離れることなんて考えられなかった。

君のいない世界はわたしにとってもう音も色も何もない、虚と同じだ。

だからわたしは龍神にわたしも神子殿と同じ時空へ行きたい、彼女と共に同じ時間を生きたいと願った。

神子殿もそれを望んでいると、龍神はわたしの願いを聞き届けてくれた…。

 


「そうだったね、わたしの愛しい、あかね。」

もう、"神子殿"じゃない!!って拗ねていたのに、わたしが"あかね"と名前で呼べば頬を朱に染める君が愛おしい。

わたしが人を恋しく、こんなにも愛おしく思う気持ちなんて絶対に持つことがないと思っていたのが懐かしく思われる。

わたしに今のように穏やかな、愛する者と過ごせる時間を与えてくれた龍神には感謝してもしきれない。

龍神が選んだのがあかねで良かった。

あかね以外だったなら、わたしは今も気の向くままに女性と過ごし、

誰かをこんなにも愛する気持ちを知らずに過ごしていただろう。

あかね、わたしの桃源郷の月。

けれど、もう決して手の届かない夢のまた夢のような存在ではない。

君を絶対に幸せにするから。これからもわたしの傍でわたしに微笑みかけておくれ。

「友雅さん、そろそろ…。」

「もう少しだけこのままで…。」

あかねの温もりを感じながら、幸せを噛み締めたある午後の日…。

 

SAKURA6.JPG - 838BYTES遙かなる時空の中でTOPSAKURA6.JPG - 838BYTES