音楽の扉が開く時
空気が透き通って、空が抜けるように青く青く澄んでいたあの日、
僕は父への用事を終えて、気まぐれに臨海公園へ足を運んだ。
〜〜〜〜♪ 〜〜〜♪
潮風を受けながらぶらぶらしていた僕の耳に音が飛び込んできた。
どこまでも清らかに今日の空みたいに澄み切った伸びやかな音。
拙い言葉で表現するならそんな感じ。
この音は言葉では言い表せない。
僕がずっと求めてやまなかった音。けれど、僕には決して手に入れることができなかった音。
この音色はいったいどこから聞こえてきてるのだろう。
もっと近くで聞きたい…。その衝動に駆られ音色を辿って公園の奥へ奥へと足を運んだ。
そして、その音を紡ぎだしている主を見つけた。
ギャラリーが見守る中、楽しそうに奏でられる音を。
演奏が終わった。ギャラリーからは割れんばかりの拍手が起こった。
その人は一瞬びっくりしたような表情を浮かべ、でもすぐに笑顔になって拍手に応えていた。
「お姉ちゃん。もっと何か弾いて〜!!」
「わたしももっと聞きた〜い!!」
その人の目の前にいた子供達が言った。
「そっかぁ〜、何か聞きたい曲ある?」
子供達にその人が笑顔で答えた。
「きらきら星!!」
「よ〜し、じゃあお姉ちゃん弾くから合わせて歌ってね!!」
「うん!!」
子供達のリクエストに応えて、再びあの美しい音色が奏でられた。
「きらきらひかる♪」
「おそらのほしよ〜♪」
楽しそうに子供達と歌いながらその音色を奏でる姿に僕は釘付けになった。
きらきら星を弾き終えると、再び拍手が起こった。
その人の周りにいたギャラリーたちがいなくなるとその人はヴァイオリンの片付けを始めようとした。
あの僕の心を捕らえてやまない音色をどうしてもまだ聞いていたくて、思わず…
「アメイジング・グレイス。演奏してくれない?」
僕のことに気がついていなかったのだろう、驚いたように僕の方に振り返った。
「無理、かな…?」
その人の表情はゆっくりと変わり、微笑んで言った。
「まだ、あまり引き込んでないので、耳汚しにしかならないと思いますけど。」
そう言ってその人はアメイジング・グレイスを奏でた。
〜〜〜♪〜♪〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
まるで心が洗われるような音色が空に吸い込まれるように溶け込んでいく…。
風が吹き、木々のざわめきの中、ここだけ別世界のようだと思えるくらい空気に溶け込んだ透き通った清らかな音色だった。
その人が最後の一音まで丁寧に弾き終えると、僕は夢中になって拍手した。
はにかんだよう微笑んで彼女はお辞儀した。
「よくここに演奏しに来るの?」
ここに来ればまた、君と君の奏でる音色に会えるかな?と思い質問した。
今度こそヴァイオリンを片付けながら、その人は答えてくれた。
「演奏と言うよりもここで練習してるの。ここで練習すると、どんな風に演奏しよう、この解釈であってるのかな?っていう迷いから抜け出せるんです。
だから、悩んだり、迷ったり…そんなときにここで練習してるんです。」
驚いた。そりゃ、悩みも迷いもまったくない人なんていない。
でも、その人は楽しそうに颯爽とした美しい音色を奏でていた。
そんな演奏から迷いなんてまったく感じなかったから…。
そうこう話している内に、ヴァイオリンの手入れが終わったらしい。
「拙いわたしの演奏聴いてくれてありがとうございました。リクエストまでしてもらっちゃって。それじゃあ、失礼します。」
―ドキンッ―
可愛い笑顔でお礼を言われて、僕の心臓がはねた。
走り去っていく彼女の背中がが見えなくなっても、僕の足はその場に張り付いたままで、激しい鼓動はおさまらなかった。
その人の音色をもっと聞きたい。
その人のことをもっと知りたい。
その人の音色に、いや彼女自身にもっと近づきたい…。
耳が良すぎるが故に自ら閉ざしてしまった音楽の扉は、
今思えばこの日に再び開かれたのもかもしれない。
僕の音楽の世界は無限に広がり始めたのかもしれない。
「父さん、星奏学院ってどんなところ?」
ここから、物語(ストーリー)は始まる…。