Amour doux   ep.1


この地であなたの命が散ってしまってから、幾つもの年月が流れました。
結局わたしはあなたの背中を追うだけで、追いつくことができなかった。
あなたの散り様を見届けることが叶わなかった。
あなたはもういないのに、あなたが散ったこの地からわたしは離れることができません。
未だ、ここにあなたの面影を求めて生きています。

春と言えども、少し肌寒く感じるのはこの土地の気候のせいだろう。
それでも、厳しい冬に比べれば、柔らかな陽射しの降り注ぐ春は暖かく、とても過ごしやすいと言える。
「千鶴ちゃん。今日はもう誰も来ないだろうし、もう帰って構わないよ。」
「えっ、でも、まだ診察時間は残っていますよ?」
「千鶴ちゃんはいつも頑張りすぎだよ。たまには早く帰ってもバチは当たらないさ。」
「ふふふっ、そんなことないですよ?でも、せっかくなのでお言葉に甘えさせてもらいますね。」
この地で一人で生きていくためには、お金が必要だった。
今まで父と江戸で暮らし、新選組に居候させてもらい、この地に辿り着くまでは、風間さんとお千ちゃんの世話になってしまっていた。
お金を得るためには、働かないことにはどうにもならなかった。
幸いにも、今は亡き養父・綱道が蘭方医であったために私には薬や医学の知識が多少なりともあった。
そのおかげで今は、この診療所で助手をさせてもらっている。
決して裕福な暮らしができるわけではないけれど、女一人で生きていくには事欠かない生活を送ることができている。
それに、この診療所の先生は父の友人であった松本良順先生に少し似ていてとても懐かしい感じがする。
そのため、時折京で過ごしたあの日々を思い出す……。
帰り支度を整え、先生に一言声をかけた。
「それじゃあ、お先に失礼しますね。お疲れ様でした。」
「ああ、お疲れ様。」
先生はにこにこと笑って手を振ってくれた。
外に出ると、まだ雪の残る真白い景色が広がる。
このまま家路に着こうかと思ったのだけど、いつもより早い時間なのだからそろそろ無くなりそうな食材を買って帰ろうと、足を市が立つ方へ向けた。
「おや、千鶴ちゃん、今日は早いね。」
「はい、先生がたまには早く帰りなさいって言って下さったんです。」
市への道の途中、顔馴染みのおばさんが声をかけて来る。
「そうなの。千鶴ちゃんはいつも頑張ってるんだからたまにはいいわよね。
そうだ、今日ね鯨肉を戴いたんだけど、量が多すぎて困ってたのよ。千鶴ちゃんちょっと持って帰りなさいな!!」
「いえっ、そんな申し訳ないです。」
「いいから、いいから!!遠慮しなさんな。それでなくてもあなたは折れそうな程細いんだから!!中に入って待っててちょうだい、用意してくるから。」
それだけ言うとおばさんは家の中へ早々に入って行ってしまった。
止める間もなかったな……っと苦笑する。
おばさんは、わたしがこの地に住むようになった最初からの知り合い。
あの時のわたしは、生きていかなかければならないと思っていても、生きていくための気力がなかった。
何もできなくて、手につかなくて……。そんなわたしを心配してくれ、何かと世話を焼いてくれたのがおばさんだ。
「千鶴さんっ!?」
おばさんを待ちながら、ここに来たばかりのことを思い出していると、不意に名前を呼ばれた。
振り返ってみると、おばさんの息子さんがいた。
「こんにちは。」
「今日は早いんだね。まさかこんなところで会えるとは思わなかったな。」
微かに頬を染めながら笑顔でわたしに話しかけてくれる。
「今日は、先生がたまには早く帰りなさいとおっしゃってくれたので。」
「そうなんだ。あっ、お袋を待ってるの?だったら、中に入って待ってなよ、ここじゃ寒いでしょう?」
おばさんにも言われていたが、息子さんにも再度中に入るように勧められていたらおばさんが、鯨肉を持って戻ってきた。
「何か騒々しいと思ったら、帰って来てたのかい。はい、千鶴ちゃん、これ持って行ってちょうだい。」
「こんなにっ!?こんなにいただけません!!」
渡されたのは見た目でわかるくらいかなりの量で、おすそ分けという次元の量ではなかった。
「いいのいいの、どうせ家にあってもこの馬鹿息子が食べるだけだから、もらってやって。」
「でも!!」
「いいからいいから、若い娘さんがそんなこと気にしなくていいの!!千鶴ちゃんはわたしの娘みたいなもんなんだから!!」
わたしがいくら言い募ったところで、おばさんは折れてくれないだろうと思い、おばさんの好意を素直に受け取ることにする。
「じゃあ、ありがたく頂戴します。ありがとうございます。」
「お礼なんかいいのよ。歳三!!お前千鶴ちゃんを送って行ってやんな。」
「言われなくてもそうするつもりだよ。千鶴さん、荷物持つよ。」
おばさんの息子さんは、何の因果か、神様のわたしへのいじわるなのかあなたと一緒の名前でした……。
「いえっ、そんな大丈夫です。一人で帰れますから。」
「送らせてやってよ、どうせこの馬鹿は千鶴ちゃんを送って行きたいみたいだからさ。」
おばさんに頼まれれば断るわけにはいかない。
「じゃあ、お願いします。鯨肉、本当にありがとうございます。じゃあ、失礼します。」
再度、おばさんにお礼を言いその場を失礼した。

「千鶴さんどこか寄るところとかはない?」
「すみません、お野菜だけ買いたいんですけど……。」
荷物を持ってもらい、送ってもらっている身だけれど、元々、市で買い物をして帰ろうとしていたとろこだったので、
野菜を買いに寄らせてもらうことにした。
「おや、千鶴ちゃん。今日は一人じゃないんだね。」
「こんにちはおじさん。ええ、先程鈴木のおばさんにお会いしたら、歳三さんに送ってもらえって。」
店主のおじさんに先程のことを説明すると、そうか〜っと頷いていた。
「そうやって、二人で買い物してると何だか夫婦みたいだな。」
「えっ!?」
おじさんの言葉に彼は驚きの声を上げ、でも嬉しそうな顔で頬を赤くしていた。
「そんなこと言ったら歳三さんが可哀想ですよ。白菜と大根、後……白ねぎ下さい。」
「白菜、大根、白ねぎっと。後、これはおまけだよ。毎度っ!!」
「わっ、こんなに。いつもありがとうございます。」
「千鶴さん、持つよ。貸して。」
先程買った野菜を包んだ風呂敷を抱えていると、歳三さんがすっと取り上げ持ってくれた。
「ありがとうございます。すみません、送ってもらってるのに荷物まで持たせてしまって……。」
「千鶴さんと一緒にいられるのであれば、どうってことないよ、こんなこと。」
さらりと言われたその言葉にわたしは苦い微笑みを返す。
この人はわたしに好意を寄せてくれている。
いくら鈍いわたしでも気付くくらい、それは顕著だった。
けれど、わたしは気付いていないふりをする。
だって、この人はあなたと同じ名前だから……。
わたしがあなたをその名前で呼んだことはなかった。
なのに、あなたのいないこの世界で、あなたの名前を、あなた以外の人に呼びかけたくない。
だからわたしは気付かないふりをする。
わたしにとって、その名前が指すのはあなたただ一人だけだから。

たわいない会話をしながら家路を歩いて、ようやく家が見えてきた。
そこで、わたしの住む家の前に誰かがいることに気がついた。
どうやら、男性のようでわたしの住む家を見ている。
「あの……うちに何か御用でも……?」
わたしが後ろからおそるおそる声をかけてみると、その男性がこちらを振り返った。
そして、わたしの顔を見るなり言った。
「千鶴か……?」
振り返った男性の顔を見て驚いた。
かつて新選組十番組組長であった原田左之助、その人だったから。
「は、らださん……。」
原田さんの瞳は驚きに見開かれていたものから一変、うれしそうに細められた。
「千鶴っ!!」
そう名前を呼ばれた次の瞬間にわたしは、原田さんの腕の中にいた。
「お前、生きてたんだな本当に。良かった……。」
少し痛いほどに原田さんがわたしを抱き締めてくる。
「くっ、苦しいです、原田さん。」
「おおっ、すまねぇ。」
そう謝ると抱き締めていた手を緩め、わたしの顔を覗き込み昔のように頭を優しく撫でてくれた。
変わってない。わたしが最後に会った原田さんと何も……。
「……千鶴さん、知り合い?」
原田さんがここにいるというあまりの驚きに、すっかり、彼がいることを忘れていた。
「あっ、はい。昔わたしがお世話になっていた人です。」
「そうなんだ……。どうやら久しぶりの再会のようだし、俺は失礼するよ。またね、千鶴さん。」
「すみません、ありがとうございました。おばさんにもよろしくお伝えください。」
わたしがお礼を言うと、彼は少し寂しそうな表情で頷き手を振り、先程来た道を戻って行った。
「……さっきの男、千鶴のいい奴か……?」
原田さんが真面目な顔でわたしに聞いてきた。
「違いますよ。あの方は、わたしの知り合いの息子さんです。そんなことより、原田さんどれくらいここにいたんですか?
すっかり体が冷えているじゃないですか。とりあえず、中に入ってください。風邪を引いてしまいます。」
わたしがそう言うと、原田さんは嬉しそうに笑っていた。

中へ入り、囲炉裏に火を入れ、原田さんを座らせてからわたしはお茶の準備を始めた。
お茶の準備をする間、わたしはもう新選組の方々と二度と会うことはないだろうと思っていたのに、
会えた喜びでいつもより心臓が早く動いていた。
お茶を淹れ、部屋へ戻ると原田さんが静かに微笑みかけてくれた。
「どうぞ。」
簡素な手作りのお茶請けとお茶を原田さんの目の前へ置く。
「ありがとうなっ。」
わたしの差し出したお茶を原田さんがお礼を言って飲んだ。
「久しぶりだが、やっぱり千鶴の淹れる茶はうめぇな。」
昔と変わらぬ様子で微笑みながら言ってくれる。髪形や服装こそ変わってはいるが、先程も思ったとおり中身は以前と変わらない原田さんだった。
「それよりも、どうして原田さんがここに……?」
原田さんと再会できたことは嬉しかったが、何故彼が此処にいるのか疑問に思った。
原田さんは永倉さんと共に、新選組を離隊し戦争が終わってからは、満州へ渡ったと聞いていた。
その彼がなぜ今此処にいるのか……。
「お前を探していたんだよ、俺は。そうしたら、お前によく似たやつがここにいるって聞いてな……、探しに来たんだ。
……けど、本当に千鶴だとは思わなかったけどな。お前じゃない別人である可能性の方が高かったから、駄目で元々で来た。」
「どうしてわたしを探していたんですか?」
純粋に疑問に思った。わたしは新選組の隊士ではなかったし、むしろ厄介者だったと思う。
新選組の幹部の方々はそんなわたしを受け入れてくれていたけど、あの戦乱の中いなくなったわたしを探す暇なんてなかったはずだ。
新選組は無くなってしまったし、戦争も終結した。
羅刹隊もなくなり、亡き養父、綱道を探す必要もなくなった。
それなのに、なぜわたしを……?
「……自分の惚れた女がいなくなりゃ、そりゃ探しもするさ。」
「えっ……?」
今のは聞き間違いだろうか。
「伏見奉行所から退いて、俺は組を率いて淀城へ向かっていたんだが、淀藩が裏切ったせいで俺達は結局、大阪城に退かざるを得なかった。
大阪城でようやく他の組のやつらと合流して、そこで源さんとこの組が伏見奉行所出る前に、長州から攻撃受けて壊滅したって聞いた。
源さんと一緒に行動していたはずのお前の行方もわからねぇって言うじゃなねぇか。
あん時、俺等にゃお前を探す余裕も時間もなくてな。まあ、それでも自分ででき得る範囲でお前の事探してたんだけどよ。
戦争も終わっちまって、本腰入れてお前を探してようやくここに辿り着いて、お前を見つけた。
なあ、千鶴……。俺と一緒に満州へ行く気はねぇか?
俺と一緒になって欲しんだ……。」
さっきのはきっと聞き間違いなんだと思っていたけれど、再び言われた言葉に今度こそ、頭の中が真っ白になった。
原田さんの言っていることが、理解できなかった。
戸惑いと困惑、それらを浮かべた面持ちで原田さんの方を見ると、原田さんは真剣な眼差しでわたしを見ていた。
原田さんの眼差しから、ああ、何故かはわからないけれど、原田さんのさっきの言葉は真実なんだ。
原田さんはわたしのことを想ってくれているんだ……っということを理解した。
原田さんは素敵な人だ。それこそ、わたしなんかには不釣合いな程。
花街のお姐さんも、京の町に住む女の人も、誰もが原田さんが通り過ぎれば振り返って熱い視線を注いでいた。
わたしが新選組でお世話になっていたときわたしをいつも気遣い、女の子扱いをしてくれた原田さん。
わたしにはもったいない程の、こんなに素敵な人から一緒になって欲しいって言ってもらえているのに、
どうしてわたしに湧き上がる感情は驚きばかりなのだろう。
こんな時なのに、浮かんでくるのはあなたの顔ばかり。
「……ごめんなさい、原田さん。わたしはそのお話お受けすることはできません。」
そうわたしが伝えると、原田さんは、ああ、やっぱりなって眉尻を下げ苦笑いに似た表情を浮かべた。
原田さんはわたしの心を全て見透かして、全てをわかっているようだった。
「お前は江戸の女で頑固者だから、俺がどんだけ言っても、口説いてもその気持ちは変わらねぇんだろうな。
……わりぃな困らせて!!さっきの話は忘れてくれ。
あっ、けどな、一人が苦しくなって俺が必要だと思ったときにゃ、俺を思い出してくれよ?
そんで、いつだって俺んとこに来ていいからよ。」
最後の方は少しおどけたように言ってくれた。
わたしが気にしないよう、わたしが思い悩まないように、彼なりの優しさ……どうしてわたしは原田さんのような人を好きにならなかったんだろう。
きっと、彼ならわたしの事を必ず幸せにしてくれただろうと思う。
「……そういや、千鶴は俺達から離れた後、どうしてたんだ?」
気を遣って違う話に変えようとしてくれた優しさに甘えさせてもらう。
原田さんのその問いを皮切りに、お互い離れていた今までの事を話した。
本当のような嘘のようなそんな話もたくさん聞かせてもらった。
時折、あなたの話が出てきた。わたしがあなたの背中を追いかけていた間のことだから、わたしの知らないあなたの話。
そんなあなたの話が聞けて嬉しかった。
あなたはこの地で何を思い、何を感じていたのだろう。
どんな想いで散って逝ったのだろう……。

翌日、原田さんは去って行った。
「千鶴、お前本当に綺麗になったな……、まあ、以前から別嬪だとは思ってたけどよ。お前が俺の嫁さんになってくれりゃ万々歳だったんだけどな。
……俺は満州に渡る。昨日言った事は嘘じゃねぇ、お前さえその気になりゃいつでも俺を訪ねて来いよ。」
そう言って、以前のようにわたしの頭を撫でて、笑顔で去って行った。

 

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