Amour doux   ep.2


季節は移り変わって、この地で過ごす何度目かの夏が来た。
京での夏は、かなり厳しいものであったけれど、ここの夏はとても穏やかだ。
わたしはいつものように、あなたが散ったという場所へ行こうと、お弁当をこしらえて家を出た。
休みの日は、そこでお弁当を食べるのがわたしのここ最近の習慣になっていた。
陽射しは強いけれど、時折吹く涼やかな風のためそこまで暑くはない。
いつものわたしの居場所、そこはいつも人影なんてないのに、今日は先客がいた。あなたの最後の場所に佇んでいる人がいた。
その人はじっとそこへ立って何かを考えているかのようだった。
ジャリッ……
わたしの足音に気がついたのか、その人がわたしの方を振り返った。
振り返ったその人の顔を見て、
「さ、いとう、さん……。」
わたしは驚きに瞳を見開いた。振り返ったその人は、髪は短く切り揃えられ、西洋の服を着てはいるが、まぎれもなく新選組三番組組長であった斎藤一、彼であったから。
彼はたしか母成峠で亡くなったと風間さんから聞いていた。その彼が何故今ここにいるのか。
「千鶴なのか……?」
そう問いかける斎藤さんの瞳も驚きに見開かれていた。
「はい、雪村千鶴です!!斎藤さん、生きてらしたんですね、良かった……。」
「ああっ、あんたも無事だったようで何よりだ。」
斎藤さんもわたしの無事を喜んでくれた。新選組でお世話になっていたときに数えるほどしか見たことのない微笑みを浮かべていた。
「……斎藤さんも会いに来たんですか?」
斎藤さんは、幹部の人達の中でも殊更あなたに付き従っていた人だったし、ここはあなたが散った場所、きっとそうだろうと確信を持ちつつ尋ねた。
「……ああ。あんたもか?」
「……はい。」
二人の間にしばしの沈黙が訪れ、ここで散って逝ったあなたに想いを馳せていた。
そしてはっと自分の手に持っている物を思い出し、思いつくまま言った。
「……あっ、そうだ、ここでお弁当食べようと思って作ってきたんです。一緒に食べませんか?」
わたしの突拍子もない言葉に、斎藤さんは鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしたが、すぐに表情を柔和なものに変えて頷いてくれた。
地面にハンケチーフを敷きその上に座り持ってきたお弁当を広げる。
食べられるはずもないのに、あなたと一緒に食べようと思ってたくさんこしらえておいて良かったと思った。
二人でわたしのこしらえたお弁当を食べていると、斎藤さんが口を開いた。
「……屯所にいた頃よりも腕が上がったみたいだな。」
ぼそりと呟かれた言葉に嬉しくなって自然と顔が綻ぶ。
「ふふふっ、ありがとうございます。新選組にお世話になっていたときと違って、毎日自分のご飯は自分で作っていますからね。
それなのに、上達しないままだったら困ります。」
おどけたようにわたしが言えば、斎藤さんは笑みを深いものにしてくれた。
「それに……、すっかり見違えた……。」
まぶしそうにわたしの方を見る斎藤さんに、わたしは意味がわからず首を傾げる。
そんなわたしの様子を見て斎藤さんがおかしそうに笑いながら言った。
「しかし、中身は以前と変わらぬようだな。」
なおさら言葉の意味がわからず斎藤さんに問いかけると、
「千鶴を最後に見てから幾年月も経ち、さらに今のように女性の着物を身に纏っていると俺の知っている千鶴ではないようだなと思ったんだが、
中身は俺の知っている千鶴のままだなということだ。」
そう言って、蕩けそうなほど甘い、甘い笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
それから原田さんから聞いた話よりさらに今に近い新選組の話を聞いた。
近藤さんが皆が逃げる時間を作るため投降し、あなたが自責の念に囚われていたこと。
近藤さんが残した新選組を生かすためにあなたが新選組を率いて、会津よりもその先を見据えて仙台へと進んで行ったことを……。
そして、斎藤さん自身のことも聞いた。
母成峠で斎藤さんは瀕死の傷を負ったものの、奇跡的に助かったこと。
今は、藤田五郎と名乗っていて、警視官をやっていること。
斎藤さんからも、今までわたしがどうしてきたのかを聞かれた。
風間さんがここまで連れてきてくれたという話をしたらさすがに驚いていたけれど。
ひとしきり話したはずなのに話は尽きることなく、気付けばいつの間にか日は西へと傾いていた。
夕闇がすぐそこまで訪れようとし、空は美しい茜色に染まっていた。
その時、斎藤はふっと真剣な眼差しでわたしの方を見た。そして何か意を決したように口を開く。
「……千鶴、あんたは今幸せか?」
斎藤さんの質問の意図が読み取れなかったけれど、今、幸せかと問われれば平穏な暮らしをできている今は幸せなのだろうと思い、そう答えた。
「どういったことが幸せってことなのかわからないですけど、わたしの心はかつてないほど凪いでます。
こんな生活を送れるってことは幸せなのだと思いますよ。」
わたしの答えに対して、斎藤さんは「そうか……。」っとだけ呟いた。
そして、一瞬の逡巡の後、こう言った。
「言うべきではないのだろうが、一つ聞いて欲しいことがある。
答えてくれなくてもいいし、ただ覚えておいてくれるだけでいいのだ。
俺は、今も昔もあんたのことだけを見ている……。
あんたの気持ちがどこを向いているのかはわかっているつもりだ、だから覚えていてくれるだけでいい。」
斎藤さんのいきなりの言葉に、わたしの頭は理解が追いつかない。
「そろそろ日も暮れるな……。あんたにまた会えて良かった。」
先程の言葉を理解できぬまま、次いで言われた良かったとの斎藤さんに言葉を返す。
「……わたしも斎藤さんにまた会えるなんて思っていませんでしたから、お会いできて嬉しかったです。」
わたしがそう言うと、斎藤さんは満足そうに微笑み頷いた。
「家まで送ろう、もう夕闇が迫っている、女一人では危ない。」
家までの道を斎藤さんと並んで歩いた。

「送ってくださって、ありがとうございます。」
斎藤さんにお礼を言う。
「いや、礼などいらない。……これを。」
斎藤さんが何か封書をわたしの方へと差し出したので、それを受け取る。
何だろうと小首を傾げて斎藤さんを見上げる。
「俺の今の所在を記している。あんたに持っていて欲しい。
俺は、あんたの気持ちがどこを向いていようとも、その気持ちごと全てが千鶴なのだと思っている。
俺と共に歩んでも良いと思うなら、そこに記した所へ俺を訪ねて来て欲しい。」
斎藤さんはそう言うと、踵を返して去って行った。
わたしは、突然いろいろなことを矢継ぎ早に告げられたため、呆然とし、斎藤さんの背中が見えなくなるまでしばらくその場へ立ち尽くしていた。
用件だけ、と言うのは何だかおかしいけれど、必要なことだけを言って去って行ったところが、
何だか斎藤さんらしいと思い、わたしは知らず微笑んでいた。

斎藤さんから渡された封書は大切なものを仕舞っている戸棚の奥へと仕舞った。
斎藤さんは、わたしがあなたを思い続けていることを知っていたようだった。
あなたへの想いを胸に秘めていてもかまわないと言ってくれた斎藤さん。
その想いも含めて、それがわたしなのだと言ってくれた。
……わたしは未だあなたの最期の想いを知らずにいる。
このままあなたの想いを知らないままでは、きっとわたしは前へ進めない。
どうするか決めるのはあなたの最期の想いを知ってから……。


あなたの眠るこの地に、再び厳しい冬がやってきた。
さすがに女一人での雪かきは骨が折れる。
新選組の屯所で暮らしていた時は、幹部の皆さんが雪かきの途中から雪合戦を始めてしまって、
あまりの騒々しさに、あなたにそれが見つかって皆で怒られたことがあったな〜なんてことをふと思い出し、微笑みが浮かんだ。
そんなことを考え手を休めていると、突然声が後方から飛んできた。
「おっ!!そこの姐ちゃん!!すまねぇんだけどさ、道を教えてもらえねぇか?」
後ろの方から聞こえた声に、どこか聞き覚えのある声だと思いつつ振り返った。
「この辺初めて来たんで、道がわかんねんだ。悪いんだけどよ、弁天台場ってとこにはどうやって行きゃいいのか教えてくんねぇか?」
わたしは、声の主の姿を確認して息を飲んだ。
見間違うはずがない……。
わたしのその様子に気付くことなくその人はなおも話し続けた。
「それにしても、本当に寒いんだな、この辺は。そのせいか、誰もいなくて参ったぜ。姐ちゃんがいてくれて助かった!!」
わたしの胸は懐かしさでいっぱいで言葉がなかなか出ない。そして、ようやく言葉を紡ぎ出した。
「…永倉さんっ……。」
わたしの目の前に立っている人の名前を……。
「んっ?何で姐ちゃん俺の名前知ってんだ?どっかで逢ったことあったっけか?」
目の前にいるにも関わらず、わたしだということに気がついていないらしい。
そう言えば、かつて初めて会ったときもわたしが女だと気がつかず、女だとわかるとすごく驚いていたっけ、
変わってないな……。永倉さんらしいっと思い、ふふふっと笑いがこみ上げてきた。
まだしきりに不思議がっている永倉さんに自分の名前を明かすことにする。
「……あなたが新選組二番組組長であったとき、妹のように可愛がってもらった……雪村千鶴です。お久しぶりです。」
わたしがそう言うと、永倉さんはしばらく静止したまま、動かなくなった。
「…………。」
「あの……、永倉さん?お久しぶりです。お元気そうで良かった。」
「……ちっ、ちっ、ちっ、ちちちっ、ちっ、千鶴ちゃんなのか!?」
盛大に大きな声でどもりながら永倉さんが言った。
ようやく、言葉を返してくれたのでほっとしながら答える。
「はい、雪村綱道の娘、新選組でお世話になっていた雪村千鶴です。」
わたしがもう一度名乗ると、永倉さんにいきなり抱きすくめられた。
自分の頬が永倉さんの胸板に触れ、何だか恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じた。
そんなわたしの様子に気付くことなく、永倉さんが言う。
「千鶴ちゃん!!無事だったんだな!!無事なら無事で何で俺らに連絡してくれなかったんだよ。水くせぇじゃねぇか!!」
原田さん、斎藤さんもそうだったけれど、永倉さんも行方のわからなくなったわたしの事を心配してくれていたようだ。
「すみません、ご心配おかけしたようで……。」
「いや、かまわねぇよ。無事でいてくれたんならそれでいんだ。」
永倉さんを見上げてわたしが謝ると永倉さんは昔と変わらぬ優しい笑顔でそう言ってくれた。
抱き締められたままなので、思った以上に永倉さんの顔が近くにあって、更に顔が熱くなるのを感じる。
「……その、永倉さん……。」
「おうっ!!何だ?」
言うのが気恥ずかしく感じるけれどわたしは意を決して言った。
「……少し、苦しいので離してもらっても……?」
わたしの発言で、わたしを先程からずっと抱きすくめていた事実に気がついたのか、永倉さんが慌てて飛び退いた。
「わっ、悪かったな……。」
「いえっ……。」
きっと顔が熱いのでわたしは真っ赤だろうと思っていたけれど、永倉さんも心なしか頬が赤くなっていた。
久しぶりで懐かしくてすっかり頭から抜けていたけれど、永倉さんに道を訪ねられていたのだったということを思い出した。
「永倉さん、弁天台場へ行きたいんですよね?よければ案内しますよ?」
「そうか?迷惑じゃなけりゃ、そうしてもらえるとありがてぇ。」
わたしは雪かき道具を片付け、一旦家の中へ戻り戸締りをすると、永倉さんと弁天台場へ向けて歩き出した。
「永倉さんも……逢いに来たんですか?ここは新選組最期の地ですから……。」
永倉さんが何でこの地に来たのか、弁天台場へ行こうとしていたことからおそらくわたしの質問通りの理由なのだろうと思いつつも尋ねた。
「……まあ、そうだな。俺は、最期まで新選組にいたわけじゃねぇけどよ、だからこそ仲間だった、共に戦ってきた奴等の最期くらい見ておきたかったんだよ。
それに、俺は元々、松前藩の人間だからな。この地で何があったのかってのを知っておくべきだと思うんだ。
島田から話だけは聞いたんだけどよ、やっぱ自分の目で見ておきたくてな。」
永倉さんの最後の言葉がわたしの中で何か、引っかかった。
「島田さんから話を……?」
「ああっ、島田の奴、今は京に戻って剣術道場開いてんだけどよ、ちょっと京の方に用事があって行ったときに偶然会ってな、俺と左之が新選組抜けた後の話を聞いたんだよ。
話を聞いてみりゃ、島田はここであった最期の戦いにも参加してたみてぇでな。
まあ、あいつの性格から言って土方さんに最後まで付き従うだろうとは思ってたけどよ。」
監察方の方でよくわたしにお菓子をくれたり、さりげなくわたしの手助けをしてくれたりと優しかった島田さん……。
島田さんは、あなたの最期を知っているの……?
あなたの散り様をあなたの最期の想いを……。
途中から永倉さんの声はわたしに届いていなかった。
ただただ、島田さんなら知っているかもしれない、永倉さんは島田さんからあなたのことをどれくらい聞いたの?
永倉さんも知っているの?という考えがぐるぐると頭の中を回っていた。
ふと気がつけば、わたしは通いなれた道を歩いて弁天台場へと着いていた。

 

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